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福井地方裁判所武生支部 昭和45年(ワ)1号 判決 1972年9月28日

原告

内田仁

ほか一名

被告

昭和建設株式会社

ほか三名

主文

被告竹内与三松同昭和建設株式会社は、原告内田仁に対し連帯して金四百七十万三千六百二十二円及び之に対する昭和四十五年一月十日以降完済迄年五分の割合による金員、並びに右被告両名は原告株式会社フクシン工業に対し、連帯して金百三十万円及び之に対する昭和四十五年一月十日以降完済迄年五分の割合による金員を夫々支払ふべし。

原告等の右被告両名に対するその余の請求及び原告等の被告石川幸雄同相互タクシー株式会社に対する各請求は何れも棄却する。

訴訟費用は被告相互タクシー株式会社同石川幸雄に対する部分は原告の負担とし被告竹内与三松同昭和建設株式会社に対する部分は右被告両名の連帯負担とする。

原告内田仁は右勝訴の金員に付金五十万円、原告株式会社フクシン工業はその勝訴の金員に付金二十万円を各担保として供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、被告らは連帯して原告内田仁に対し金五百二十六万千六百二十二円を、同原告株式会社フクシン工業に対し金三百万円を、夫々訴状送達の翌日から支払済迄各年五分の割合による金員を付して支払へ。訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  交通事故の概略

(一)  日時 昭和四二年一一月一八日午後一時頃

(二)  場所 福井県鯖江市幸町マツダオート営業所付近の国道八号線上

(三)  被告運転士並びに被害車両

運転士 原告内田仁(以下原告内田と略称)

車両 原告株式会社フクシン工業(以下原告フクシン工業と略称)所有の普通乗用自動車福井五に一二六五(以下(甲)車と略称)

(四)  加害運転士並びに加害車両

(第一)

運転士 被告竹内与三松(以下被告竹内と略称)

車両 被告昭和建設株式会社(以下被告昭和建設と略称)所有の大型貨物自動車福井一れ一七九二(以下(乙)車と略称)

(第二)

運転士 被告石川幸雄(以下被告石川と略称)

車両 被告相互タクシー株式会社(以下被告相互タクシーと略称)所有の普通乗用車福井五八あ三六六二(以下(丙)車と略称)

(五)  態様

玉つき状の追突、

原告内田運転の(甲)車が道路左側に寄つて一時停車中の処、同車後部に被告竹内運転の(乙)車前部が追突し、さらに同車後部に被告石川運転の(丙)車が追突したもの。

(六)  結果

(乙)(丙)両車による右二重追突の衝撃のため、(甲)車破損のほか、原告内田にて頭部外傷、外傷性頸椎症等いわゆる鞭打ちの傷害を受けた。

二  帰責原因

(一)  被告竹内並びに被告石川につき

前方不注意による過失(民法七〇九条)

(二)  被告昭和建設並びに被告相互タクシーにつき

各それぞれ被告竹内並びに被告石川の使用者であり、かつ、(乙)(丙)各加害両車を保有して運行の用に供しているものである。(民法七一五条、自賠法三条)

三  原告内田における損害

(一)  治療関係費(金八九三、六二二円)

(1)  事故当日である昭和四二年一一月一八日から翌昭和四三年二月二〇日までの間、山田外科病院(福井市)に入院したる処、その間の入院費 金三三〇、四九〇円

(2)  右同入院期間(正味九五日間)の附添看護料並びに入院諸雑費 金一四二、五〇〇円

(3)  退院後である昭和四三年二月二三日からさらに翌年である昭和四四年六月三〇日までの間、ほとんど毎日、前記福井市山田外科病院のほか、鯖江市にて国立病院、吉村外科病院、みどり丘病院、玄武道、川畑マツサージ師等に通院したる処、その間の治療費 金二六八、六三二円

(内訳)

山田外科病院 八、二三六円

国立病院 九一、五七二円

吉村外科病院 三四、五七〇円

みどり丘病院 一〇、八〇四円

玄武道 一〇、七〇〇円

川畑マツサージ 一一二、九五〇円

(以上合計 二六八、六三二円)

(4)  右同通院(正味四九〇回以上)に要した交通費 金一四七、〇〇〇円

(5)  コルセツト購入、診断書取寄等に要した費用 金五、〇〇〇円

(二)  休業損害(金一、三五〇、〇〇〇円)

原告内田は事故当時に会社より毎月一〇〇、〇〇〇円の報酬を得ていたものであるが、事故の翌月である昭和四二年一二月より昭和四三年八月までの九ケ月間は完全に出勤不能であつたので報酬を全く得られず、さらに同年九月より翌昭和四四年六月までの九ケ月間は前記通院等加療のため時折出勤したに過ぎなかつたので報酬は半額とせられた。

すなわち、完全休業の九ケ月間の損害は九〇〇、〇〇〇円、その後の時折出勤した九ケ月間の損害は四五〇、〇〇〇円、その合計は一、三五〇、〇〇〇円の休業損害を蒙つたことになる。

(三)  労働能力喪失による損害(金二、〇一八、〇〇〇円)

前記国立鯖江病院では、原告内田の後遺症につき労働者災害補償保険の一二級に該当する鞭打損傷と認定している。

すなわち、原告内田(昭和一〇年八月一三日出生)は将来三〇年の就労可能年数を残しながら、一四パーセントの労働能力を喪失したことになるので、後記計算によつて金二、〇一八、〇〇〇円の損害を蒙つたことになる。

(計算)

月収 一〇〇、〇〇〇円

年収 一、二〇〇、〇〇〇円

三〇年間の収入 三六、〇〇〇、〇〇〇円

その一四%は 五、〇四〇、〇〇〇円

中間利息を控除して 二、〇一八、〇〇〇円

(四)  慰藉料(金二、〇〇〇、〇〇〇円)

前述の通り原告内田は、事故後九ケ月は絶対安静を要して療養看護を受け、その後九ケ月は多少の動きをとるに至つたが、結局一八ケ月の長きにわたつてほとんど療養に専心せざるを得なかつた処、それにもかゝわらず一二級の後遺症を残しており、日々の苦しみは到底金銭を以つては計り知れないものであるが、慰藉料としては通常の基準に従い金二、〇〇〇、〇〇〇円を以つて評価すべきである。

(五)  以上の通り、原告内田の損害は、

(一) 治療関係費 八九三、六二二円

(二) 休業損害 一、三五〇、〇〇〇円

(三) 労働能力喪失 二、〇一八、〇〇〇円

(四) 慰藉料 二、〇〇〇、〇〇〇円

の合計金六、二六一、六二二円であつた処、その内

(一) 治療関係費 八九三、六二二円

(二) 休業損害の内金 一〇六、三七八円

合計一、〇〇〇、〇〇〇円

については被告方双方より自動車事故強制賠償保険金を以つて内入支払を受けた。

よつて、右未済となつている残金五、二六一、六二二円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めるものである。

四  原告フクシン工業における損害

(一)  交通事故により会社の代表者が受傷した場合、これによつて蒙つた企業損害の賠償を求め得るかについては、すでに福岡高判昭四〇・三・一九(下民集一六ノ三、四五八頁)や東京地判昭四二・一二・八(判例時報五一三号五七頁)などが理論付けに若干相違はあつてもこれを積極に解していた処、最近は、最判昭四三・一一・一五(判例時報五四三号六一頁)が最高裁として積極の態度をとることを明かにした。

(二)  そこで原告フクシン工業の実態を明かにする。すなわち、原告フクシン工業の社長である原告内田方では、以前より「フクシン工業」の名を以つて建築、水道設備等の販売敷設工事等を家業としていた。昭和三八年八月一三日、右家業である「フクシン工業」は会社組織に改められたとはいえ、社長個人が築いた成果を法人としたに過ぎなかつたから、その後も人事会計等総務的な業務は勿論のこと、仕入、在庫管理から建築工事等の工程管理や現場監督に至るまで全般に亘つて社長個人がこれを採配してきたものである。会社の構成面から見ても、社長である原告内田を中心として専ら身内の者を以つて取締役会を構成している。約言すれば、原告フクシン工業は、その経営管理から現実の営業活動に至るまで社長個人が自ら活動しているものであるから、社長個人を離れて会社の活動を考えることが出来ず、会社にとつて、社長個人は、余人を以つて代ることのできない不可欠の存在なのである。

(三)  然るに本件交通事故によつて社長である原告内田は昭和四二年一一月一八日より翌昭和四三年八月末までの九ケ月間は遂に会社に出勤することができず、さらにその後翌昭和四四年六月末までの九ケ月間は時折出勤して指揮を取つたに過ぎなかつた処、その間、原告フクシン工業における活動は顕しく停滞した。これを売上利益の面から把握すると金五〇、〇〇〇、〇〇〇円以上の損害を蒙つている勘定になり、この損失は専ら本件事故に起因するものと言わざるを得ない。

よつて、原告フクシン工業より、右企業損害の内金三〇〇万円とこれに対する遅延損害金の支払を求める次第である。〔証拠関係略〕

被告等全員の訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、請求原因に対しては原告主張の様な交通事故があつたことは認めるが損害の額に付いては争ふと述べ、更に被告相互タクシー株式会社及び同石川幸雄の訴訟代理人は、被告石川幸雄は原告内田仁に対し、傷害を与えていない。すなわち、被告竹内与三松の運転していた普通貨物自動車が原告内田運転の普通乗用車に激突して、右乗用車を前方に押しやつた後に、被告石川運転の普通乗用車が、前記貨物自動車の高い荷台の下をくぐる恰好でゆるく進行して右貨物自動車の下方中間部付近に追突したもので、このときは貨物自動車に激突された原告内田運転の乗用車は既に前方に進みでていたもので、再度の追突はなく、訴状記載の玉つき追突ではないのである。

右の事実は被告竹内の起訴事実が原告内田仁に対する業務上過失傷害であり、被告石川のそれは被告竹内の車に追突した為の道路交通法違反であるに過ぎないこと、及び〔証拠略〕によつて極めて明らかである。従つて被告石川は原告に対して何等傷害を与えて居ないから被告相互タクシー株式会社と被告石川幸雄に対する本訴請求は失当である、と述べた。〔証拠関係略〕

理由

請求原因記載の日時・場所において、被告竹内運転のトラツクが原告内田仁運転の乗用車(クラウン)に追突したこと、又被告石川運転のタクシーが右被告竹内運転のトラツクに追突したこと、並びに原告内田仁が怪我をしたことに付いては当事者間に争がない(但し各追突の前後の事情に付いては争あり)

又被告昭和建設株式会社(以下被告建設会社と略称)と被告竹内との雇用関係並びに被告相互タクシー株式会社(以下被告タクシー会社と略称)と被告石川との雇用関係に付いては原告の主張に付いて明らかに争つて居ないところである。結局被告建設会社と被告竹内は各原告主張の損害に付いて争い、被告タクシー会社と被告石川は、本件傷害の発生と被告石川の追突との間に因果関係のないことを理由に損害賠償責任がないことを主張するものである。

よつて先ず被告タクシー会社と被告石川対原告間の争点に付いて按ずるに、原告訴訟代理人は被告竹内のトラツクが原告内田仁運転の乗用車(以下原告車と略称)に追突したのと同時に被告石川運転のタクシーが被告竹内のトラツクに追突したものであるから右被告等は共同不法行為であると主張し、被告タクシー会社並びに被告石川の訴訟代理人は被告竹内のトラツクが原告車に追突して原告車がその追突によつて前方に押し出された後、被告石川のタクシーが被告竹内のトラツクに追突したものであるから、右追突は原告内田仁の傷害の発生に付いて無関係であると言ふのであるが、〔証拠略〕を綜合すると原告車が後退しようとして停つて居たところへ被告竹内のトラツクがスリツプしながら進行して来て原告車に追突し、その衝撃で原告車は前方へ十数米押し出され、被告竹内のトラツクはそれから一米位前進して停まつたが被告石川のタクシーは被告竹内のトラツクが原告車に追突した「ドン」と言ふ音を聞いてから、右トラツクに追突したものと認められ、又右タクシーの追突によつて更にトラツクが原告車に再度追突したと言ふ事実は認められない。右認定に反する甲第七号証は措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。然らば被告石川のタクシーが被告竹内のトラツクに追突したことと原告内田仁が負傷したこととの間には何等因果関係は存在しないものであるから、従つて原告内田仁の本件損害に付いて被告タクシー会社及び被告石川は之を賠償すべき責任はないものである。よつて原告の右被告両名に対する本訴請求は失当であるから之を排斥し、次に被告建設会社及び被告竹内と原告内田仁、同株式会社フクシン工業間の争点に付いて按ずるに〔証拠略〕を綜合すると、原告は昭和四十二年十一月十八日午後一時四〇分頃、その所有する乗用車福井五に一二六五号を運転し原告主張の場所にさしかかり、同路の左側によつて停車した居たところ、原告車に追従して約四十粁米位の時速で走つて来た被告竹内の運転する普通貨物自動車福井四ね四九三三号が(原告の大型貨物自動車、福井一れ一七九二号は前記各証拠により誤記と認める)同被告の前方不注意の為、原告車が停つて居るのを約十米に接近して初めて気付き、追突の危険を感じてあわてて急ブレーキをかけたが間に合わず、五米余スリツプしながら原告車に追突し、為に原告車は十数米前方に押し出されて道路左側端に停止したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。結局原告内田仁の負傷は被告竹内の一方的過失によるものであると認められる。従つて被告竹内は全面的に賠償責任がある。而して更に被告竹内の雇主であり且原告車に追突した前記貨物自動車の保有者で運行責任者でもあることが認められる被告昭和建設株式会社は本件事故に対し民法第七百十五条第一項但書の事由及び自動車損害賠償保障法第三条但書の事由に付いては主張も立証もないので、右但書の事由の存在は認められない。従つて同被告も本件事故による損害賠償の責任がある。

そこで進んで本件事故による損害に付いて按ずるに、先ず原告内田仁に付いては前記認定の事実即ち被告竹内の追突の事実と〔証拠略〕によると右追突により原告内田仁は外傷性頸椎症の傷害を負い、当時診断した医師によると右傷害は向ふ二ケ月の入院加療を要すると言ふ診断であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。次に〔証拠略〕を綜合すると、原告内田仁は右傷害により受傷の日から福井市の山田外科病院に入院し種々の薬物的及び理学的治療を受け、受傷後約三ケ月の昭和四十三年二月二十日経過良好(診断書には治癒と記載あり)の診断にて同病院を退院したが、その後も頸痛、耳鳴、頭痛を感じ同月二十三日から同四十三年九月十九日迄鯖江市の国立鯖江病院に通院治療を受けながらそのかたわら平山柔道整骨士に七回に亘り自宅治療を受けて一応病状は固定したが、内耳性障害があつて頭痛、両耳鳴及び頸部自律神経の障害が強く残存する後遺症があり、労働者災害補償保険級別十二級の認定を受けたが、右後遺症の治療の為右国立病院において翌四十四年五月六日頃迄通院して頸部マツサージの治療を受けたり又その間昭和四十三年八月三十一日から同年十二月二日迄吉村整形外科病院で治療を受け、又その間自宅へ川畑マツサージ師を呼んで昭和四十四年六月末頃迄一〇〇回近く治療を受け更に医療法人みどりケ丘病院では脳波の検査を受ける等種々の治療や検査を受けたが今なお耳鳴、左の手足のしびれがあり、設計の仕事が三十分位しか続けられず又、持つて居る茶碗を落とすことも度々あると言ふ事実が認められ右認定に反する証拠はない。そこで更に損害の額に付いて按ずるに〔証拠略〕を綜合すると原告内田仁は前記傷害の治療に付いて前記認定の如く山田外科病院、国立鯖江病院、吉村整形外科、みどりケ丘病院、玄武館柔道整骨院(平山弥三平)及び川畑マツサージ治療院において種々の治療や検査を受け、尚その間原告の妻訴外内田邦子が、原告内田仁入院中九十五日間に亘つて付添看護を為し、又その入院中の諸雑費並びに原告内田仁が右治療の為通院に要した交通費、及びコルセツト購入費診断書等の下付に要した費用に付いては、訴状記載の通りであることが認められ、右認定に反する証拠はない。従つてその治療費関係の損害額は八十九万三千六百二十二円である。

次に右原告の休業損害に付いて按ずるに、〔証拠略〕並びに前記原告の治療状況等を綜合すると原告内田仁は前記受傷の時から昭和四十三年八月頃迄は前記の如き治療と休養に追われほとんど原告の経営する原告株式会社フクシン工業(以下原告会社と略称)に出社し、その社長として又担当業務である建設部門に関与することができず、その当時の俸給である十万円は右九ケ月間全く支給が受けられなかつた。而して同年九月頃から翌四十四年六月末頃迄は前記の如く治療は続けながらも右原告会社での業務も多少行なえる様になりその給与も半額の月五万円の支給を受けられる様になつたが、結局右期間は本件傷害の為金百三十五万円の休業損害を蒙つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

次に原告内田仁の本件傷害による労働能力の喪失に付いて按ずるに、〔証拠略〕によると原告内田仁の本件傷害による後遺症は労働者災害補償保険法所定の第十二級に該当することが認められ右認定に反する証拠はない。次に〔証拠略〕によると原告は昭和十年八月十三日生れであるから、本件事故の当時は満三十二歳であつたので満六十歳迄の就労可能と認め将来二十八年間就労可能と認める。而して原告の後遺症認定は前記の如く十二級であるから十四パーセントの労働能力の喪失が認められる。而して右原告の月収は十万円であり、右二十八年間の収入は三千三百六十万円となる。而してその十四パーセントは四百七十万四千円となる。その中間利息を年五分のホフマン方式によつて控除すると金百九十六万円となるから結局右金百九十六万円は労働能力喪失による損害額と認められる。右を超える原告の請求部分は失当であるから之を排斥する。

次に原告内田仁の本件事故による慰藉料に付いて按ずるに、原告内田仁の本件傷害の原因は全て被告竹内の過失に基くもので右原告には何等の過失もないこと前記認定の通りであり、又その傷害の程度、治療期間、費用就労の事情及び後遺症等も前記認定の通りであるが、之と〔証拠略〕を綜合すると右原告は前記の様な傷害による肉体的並びに精神的苦痛及び財産的損害を受けたことは認められるが右原告の収入は、昭和四十四年八月頃から右原告の原告会社に対する貢献度が増大した為にその俸給は一躍倍の二十万円となり更に昭和四十五年春からはその俸給が三十万円に増額になつて居ることが認められる。この事実は原告内田仁は現在では大体会社の業務は遂行できる状態になつたと解され、将来に対する本件傷害による後遺症もそれ程ではないと解される。以上の各事情及び弁論の全趣旨を綜合すると原告内田仁の本件事故による慰藉料は金百五十万円を以て相当とする。従つて以上原告内田仁に対する各損害額の合計は金五百七十万三千六百二十二円になるところ、之に対し右原告は自賠責保険から金百万円を支給されて居るから之を右損害額から差引くと実際上請求し得る損害金は金四百七十万三千六百二十二円となる。よつて被告竹内与三松及び被告昭和建設株式会社は連帯して右原告内田仁に対し、右金員及び之に対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかである昭和四十五年一月十日以降完済迄年五分の割合による金員を支払ふ義務があるから原告内田仁の本訴請求中右認定額の範囲内で之を容認し、それを超える請求額及び前記被告石川幸雄、同相互タクシー株式会社に対する本訴請求は全て失当として排斥するものである。

次に原告株式会社フクシン工業の各被告に対する請求に付いて按ずるに、被告相互タクシー株式会社及び被告石川幸雄に対する請求は、前記認定の如く因果関係が認められないからその請求は原告内田仁に対すると同様失当である。

次に被告建設会社及び被告竹内に対する関係に付いては、〔証拠略〕を綜合すると、原告会社の社長で同会社の統師者である原告内田仁が右被告竹内の不法行為によつて傷害を受け、前記認定の如き治療を余儀なくされ、その為受傷後昭和四十四年六月頃迄は原告内田仁は十分な原告会社の業務遂行が行なえなかつたことが認められる。而して原告会社は資本金二百五十万円、その営業内容は、重な業務は建設関係と水道関係であつて、その営業による収入の割合は建設による収入を一とすると水道の方の収入はその二分の一と言ふ割合であり、従業員は水道部門の方は十五、六人、建設部門の方は現場監督的人員は二、三人、外は人夫が十数名と言ふ形体で、水道部門の方は訴外酒井某と言ふ社員が専従担当者として行なつて居り、原告内田仁は主として建設部門の方を担当し受註、見積り、設計、現場監督を担任し、又会社社長として原告会社の全般に亘つて管理統師を行つて居たものであることが認められ、更に原告内田仁が本件事故で受傷し、その治療中は原告会社の収益状態は右治療期間の昭和四十二年から同四十三年にかけてその完成工事高は前年同期に競べて千三百万円程度の減少を来して居ることが認められるが、又右四十二年から四十三年にかけての荒利益は右その前年度に競べて多少増加して居り、そのアンバランスに付いては明確な証明は存在しない。而して〔証拠略〕によると原告会社の建設部門の事業成績は毎年一定ではなく上下の波があることが認められ、必ずしも原告訴訟代理人の主張する様な上昇成績が得られたかどうかは確認できない。然し前記認定の如く原告会社の統師者である原告内田仁が前記の如く長期に亘つて原告の会社の業務を完全に遂行できなかつたのであるから、その事情からして、原告会社の収入が原告内田仁が建康体で原告会社の業務を遂行できた場合と競べれば原告会社は相当な収入の減少があつたものと解して差支はないが、原告内田仁に対し原告会社は前記俸給百三十五万円を支払つていない事情もありその実際の損失に付いては之を明確にするこれ以上の資料がないので、当裁判所としてはその実損失を前記収入減の千三百万円の一割と認定し、右実損額を百三十万円と認定する。而して右原告会社の右認定による損害に付いては、被告竹内はその前記不法行為により、被告建設会社は右竹内の不法行為に基き、民法第七百十五条により夫々連帯して原告会社に対し右損害金及び之に対する前記本訴状送達の翌日である昭和四十五年一月十日以降完済迄年五分の割合による金員を賠償すべき義務があるものである。よつて原告株式会社フクシン工業の本訴請求中右認定額の範囲内で之を容認し、それを超える額及び被告相互タクシー株式会社及び同石川幸雄に対する請求を失当として排斥し、訴訟費用に付いては民事訴訟法第八十九条第九十二条、第九十三条第一項により、仮執行の宣言に付いては同法第百九十六条第二項により各主文の通り判決するものである。

(裁判官 安藤隆雄)

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